筋トレと断捨離を始めたら、仕事を辞める覚悟ができました

筋トレと断捨離を始めたら、会社を辞める決意ができた

仕事を辞めたアラサー女が、きっかけとなった筋トレと断捨離について熱く語るブログ

「好きな仕事」ではなく、「好きでいようとした仕事」だったと気づいた日

もろもろに背中を押され、とうとう仕事を辞める決意をした日のことを書きたいと思います。

 

あの日、心が完全に折れた 

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私の前職は動物園の飼育員。ポニー乗り場でお子さんたちに乗馬を体験してもらったり、小動物のふれあいコーナーでモルモットやウサギのふれあい体験をしてもらう仕事でした。

大学も畜産学部。馬と一生一緒に生きていくんだと決意していました。

 

ところが何をやってもとろい私は、すっかり職場の嫌われ者に。

必死に努力するも、滑稽なまでに空回り。

同期はどんどん出世し、後輩にもどんどん追い抜かれ…。

 

それでも、大好きな仕事でした

 

…そう、過去形になっていたのに、気づいちゃったんです。

 

断捨離を続けて、いろいろ気づけるようになった

断捨離をはじめて…。

  • ふとパジャマを捨てたあの時のように、「変わる瞬間」がくるのがわかるようになった。
  • ゴムが伸びきったジャージとか、捨てるべきものを捨てる習慣がついた。
  • 服の写真を撮るようにして、客観視ができるようになった。
  • 炊飯器やトースターもさくっと捨てられたように、「誰か」でなく「自分」を基準にして考えられるようになった。
  • 押入れをきちんと整理できたように、「見ないフリ」をやめて向き合うと使いやすく整頓できることを知った。

このブログでも「ふと気づいちゃったんです」という表現を多用してきましたが…。

気づいちゃったんです。私が「仕事が好きだから続けている」のではなく、「続けるために、必死で仕事を好きでいようとした」ことに。

 

思えばずっと前から、「好き」ではなく「好きでいようとしていた」

思えば、ただただ馬が好きで始めた仕事だったはずなのに…。

 

上司に「体力ないな」と嘲笑われて突然筋トレを始めたり、いつの間にか人の目ばかり気にしていました。

チーム仕事、接客業なので、上司や同僚、お客さんの顔色を気にするのは正しいんですが…。

私の場合かなり極端に気にしすぎたというか、空回りしすぎでした。当時からものすごいストレスや焦りを感じていたな、と正直なところ思うんです。

 

その頃から、仕事を辞めることになる3年前、筋トレと断捨離を始めた3年前あたりから…。

心の奥では「辞めたい」という気持ちがあったのかもしれないなぁ、と今になって思います。

 

でも。

こんなにダメな私を拾ってくれた前職。 

高い責任を求められているわけでもない。いわゆるブラック会社でもない。

安月給だけどやりがいのある、高校生の時からずっと憧れていた仕事。大学も動物関連のところを出た。

ここを離れたらもう、行き場がない。何も残らない…。

そんな不安と依存でがんじがらめになっていました。

 

でも。

気づいちゃったんです。

 

気づいちゃったとき…。

もう私は、耐えられない状態になっていました。

 

気づいた瞬間、「嫌」があふれた

 「仕事が好き」ではなく、「仕事を必死で好きでいようとした」ことに気づいた瞬間。

 

「私が不甲斐ないから」

「みんなは優しいけど、私がダメだから上手くいかない」

そう思っていたことが、全部「嫌」に変わって押し寄せてきました。

 

それまで「向いてない」と思ったことはたくさんあっても、「嫌」だとは一度も思わなかったのに。

全部蓋をしていた。見ないようにしていた。

気づいた瞬間、もう1分1秒たりとも職場にいたくない心境になりました。

 

できるだけひとりでできる仕事を回してもらい、バックヤードで黙々と作業。

職場で仕事終わりにダラダラしていた瞬間も、何もかも嫌になって。

周りに嫌な顔されようがなんだろうが、有給使いまくるようになりました。

 

日々の仕事は何も変わらない、周りの人の私の接し方も何も変わらないはずなのに。

ただ「気づいた」それだけで、私の行動はこれだけ変わってしまったんです。

「好きでいようとした努力」をやめたせいなのかもしれないですが…。

 

 

「気づく」力は、思った以上に大きい

思えばどれだけ頑張っても、どれだけ空回りして上手くいかなくても、改善しなくても…。「会社員なんだから苦労するのは当たり前」と思っている節がありました。

 

でも、違う。

断捨離は「気づく」こと、「自分基準で答えを出す」いい練習の場所なんです。

 

自分にとっていい状態なのか、悪い状態なのか。

適当に流されるままに決めるのではなく、ひとつひとつ立ち止まって考える癖を身に着ける。

「当たり前」「こんなもんでしょ」「みんなやってる」

そんなものは、断捨離を続けてミニマムな暮らしを実践し始めた人間にとっては、なんでもないことなんです。

 

苦労するのが当たり前?

…いや、苦労するのは当たり前かもしれないけど、その先に何があるの?

私が幸せでいられる未来、その先にありそう?

 

答えはとうに、断捨離を始める前から、実は出ていたんです。

 

 

 

あと2回で当ブログ、完結します!

職場のごちゃごちゃが気になってしょうがない〜私、HSPかも?と思った瞬間

今回も「断捨離」編です。

 

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 前回記事はこれ。

 

 

 

部屋の物を減らしたら、自分の部屋で安らげるようになりました

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断捨離を始め、部屋の物を順調に減らしてきた私。

不要な小物のみならず、炊飯器やトースターまで減らしてしまいます。

 

ゴチャゴチャしていた物を捨て、どんどん減らしていくうちに…。

私の部屋は茶色と白、優しい色合いの物だけが残るようになりました。

 

音もすごく静かなんです。

我が家は駅から徒歩10分の静かな住宅地の一角にあるアパート。

ご近所の方は年配の方が多いようで、のんびりとした立地です。

 

そんな環境でのんびりくつろいでいると…。

当時勤めていた会社の刺激の多さが、だんだん処理しきれず怖いものに感じるようになっていきました。

 

当時の仕事は「動物園の飼育員」

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当時、私は小さな子供動物園で飼育員をしていました。

小さな子供さんがふれあえるような、小動物や家畜を飼育している小さな動物広場です。

 

やりがいを持って仕事をしていたのですが、私は「仕事ができない」と毎日同僚たちに怒られまくる日々を送っていました。

 

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 詳しくは過去記事で。

 

そんな職場は、とにかく刺激だらけ。

動物園の飼育員といってもメインの仕事は「ふれあい」、接客業です。しかもポニーなどの大動物を扱うこともあり、ゴリゴリのチームワーク。

誰が何をしているか、進捗はどうかを常に細かくやりとりして歩幅を合わせなきゃならない。

しかも相手はお子さんとご家族、そして動物たち。

 

動物たちに合わせた雑多な仕事と大量の道具、お子さん向けのポップでカラフルなあれこれ、屋外のコミュニケーション仕事なので指示は基本音声(たまに怒鳴り声)…。もちろん動物たちの怪我がないか、体重が減っていないかなどのチェックに触覚も総動員。第六感も総動員。

 

自分の家を片付けて、物・色・音を減らして。

そこでやっと気付きました。

自分の癖…自分の五感が鋭敏、むしろ過敏すぎることに。

 

HSPというものの存在を知った

HSP」という言葉を聞いたことがありますか?

「Highly Sensitive Person」の略で、ひとことで言うと「繊細過敏な人」のことです。別に病気でもなんでもない、「積極的」とかと同じ人の気質のひとつ。10人に1人がHSPに当てはまるとされます。

最近話題にもなり、「繊細さんの本」なる本がブームになったりもしました。私は「自分がこれではないか?」と思ったんです。

 

HSPにはものごとを深く考える、刺激を受けやすい、感情の面で反応しやすく共感しやすい、かすかな刺激に対する感受性が強いという4つの特徴があるとされています。

 

とはいえ、私は人の心の機微には鈍感だったりもするので、どうやらHSPではなさそうだ…という結論に行き着くんですが、いくつか当てはまる特徴がありまして。

私はどうやら、「かすかな刺激に対する感受性」が強烈…つまり五感がかなり鋭いみたいなんです。

他の誰も気づかなかった同僚のSOSの声に反応して、事故を未然に防いだりした経験もあったりします。あと低気圧なんかにも敏感。

 

でも普段の生活ではこれが仇になっていたようで…。

刺激の多い場所では、すぐに頭の容量がパンクしてキャパーオーバーを起こしてしまう。処理能力が思いっきり低下したり、パニックを起こしたりしてしまうんです。

 

せめて容量を抑えるため、断捨離…というわけにもいきません。

会社のものは勝手に捨てたり入れ替えたりできません。私には不要でも使っている人がいたり、用途がわからないものが動物の緊急事態に使う道具だったりもしたので、いじることもできず…。

第一、ストレスの原因のほとんどが密な音声コミュニケーション。動作音がいちいち大きい上司、同僚たちの意味もないおしゃべり、飛んでくる指示…。これは「断捨離」できません。

 

でも、部屋を静かに整えて。

気づけたんです。この環境がストレスだったと。

 

 

「なんでお前は仕事ができないんだ」

「原因を見つけろ。改善しろ!」

実は当時、上司に毎日のようにそう怒鳴られ続けていて。

泣きながら考えていた中でつかんだ結論でした。

もちろん上司にそのまま言うことはできず…。

 

ただ、「向いていない」そこに気づいたのでした。

 

 

次回、いよいよ仕事辞めます。

「奥の壁が見える押し入れ」が教えてくれたこと〜溜め込んでいたのは「物」だけじゃない

今回からまた「断捨離編」に戻ります。

 

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物を捨てまくるうち、自分の感覚を信じられるようになってきた私。

「世間の当たり前」より「自分の感覚」を信じるようになった結果、炊飯器やトースターまで断捨離。「捨て変態」と化していきました。

 

今回は「変態」と化した後の変化について書いていきたいと思います。

 

断捨離界のラスボス、押入れ

断捨離界のファーストステージ・衣類、セカンドステージ・キッチンときて、部屋のあらゆる場所を片付けた最後に立ちはだかるのが…そう、押入れです。

 

なにせ物が圧倒的に多い!しかも捨てるのにお金がいる大型のものも多く、他の場所に比べて圧倒的な難易度を誇ります。

 

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我が家も最後までみっちみちでした。

いかにスペースを上手に使おうか、無駄をなくそうか…。

「布団圧縮袋」なんて物を使ってみたりして。

でもこれも「気づいちゃった」んです。

 

ここに入っているもの、どれくらい使うだろう?

そもそも押入れを開けるのって、1日に何回?むしろ1週間に1回開ければいい方じゃない?

私、ここに入っているもの、どれくらい覚えてるかしら?

 

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気合を入れて重い腰をあげ、一気に断捨離! 

「奥の壁が見える」押入れに生まれ変わりました。

 

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引き出しの中には、洗剤なんかのストック。

2段目には加湿器や湯たんぽなんかの季節用品、1番上には手芸道具が入っています。

 

この3段の引き出しの外にあるのは、基本的に災害対策用品です。

リュックは非常持ち出し袋。リュックの奥にある段ボールは水とカセットコンロ、ガスボンベ。

あとヨガマット。それだけです。とってもスッキリしました。

 

 

「奥の壁が見える押入れ」が教えてくれたこと

これが不思議なことに、押入れの稼働率が逆にすごく上がりました。

なにせ開けた瞬間の「うわっ」がない。それに押入れに入っている物を全て覚えているから、ゴソゴソ探すということがない。探し物は一発で見つかります。

 

これが不思議なことに、「たくさんある」よりずっと楽でした。

「持っている」安心感よりも、「探す」「選ぶ」ストレスの方が上回っていたんです。

 

探したり、選んだりするストレスは、思っている以上に大きい。

そこに「片付けなきゃ」というストレスが加われば、もはや押入れを開けられなくなってしまいます。

結果、押入れは断捨離界のラスボスと化してしまう。

 

人が持てるもの、管理できるものは思っている以上に少ない。

「探す」「選ぶ」を少なくするためには、とにかく持っている物を少なくして、見通しよく風通しよくしておくのが大事!

それをよくよく実感しました。

 

 

これは「物」だけじゃなくて…

断捨離しまくって、実感したんですが…。

「物」をたくさん溜め込んで、キャパーオーバーになっている状態の時。

同時に「こと」も同じように溜め込んでしまっている、という気がします。

 

あっちこっちの嫌な「こと」。ふとしたときに気づいて、「うわぁ」と顔をしかめ、とりあえず扉を閉めてしまう。

根本解決は後回しにして、とりあえず隙間から必要な物を引っ張り出すように、その場しのぎの対症療法をしてしまう。

 

私もそうでした。今もそうなんですが、私はとにかく「後回し癖」がひどいんです。

 

でも持っている物、今抱えている仕事を減らして、自分のキャパに収められるようにすればとりあえずキャパオーバーになってパニックにならなくて済む。

そこに気づいてから、随分と楽になりました。

 

…刺激が多い、常に「キャパーオーバー」になる当時の仕事が合っていないと気づくのも、この押入れがきっかけでした。

 

 

次回も断捨離編です。次は愛用品の紹介と、今の私の物の選び方について紹介します。

ジム通いを始めて「美人」になりました〜自意識過剰ぶち壊し編

このへんは「断捨離編」ともからむお話なのですが…。

ジム通いを初めて、私はすごく「美人」になったと言われるようになりました。

 

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 この過去記事ともからむお話。

 

Tシャツジャージを着ていた私が腹出しウエアを着るまで

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ジム通いを始めた頃、私は家にあったTシャツとジャージでジムに通っていました。

ところが2ヶ月もしないうちにピッチピチのランニングタイツを履くようになり、半年後には「タンクトップ+見せブラ」に。

あげく1年後にはヨガのとき限定ですが、ガッツリお腹を出すウエアを着るようになりました。

 

どんどん露出狂になっていった…というわけじゃなく。単に機能性重視になっていったんです。

ジャージで走ると、裾が絡みついてとにかく走りにくいので、ランニングタイツに。

背中や肩のトレーニングをやると、袖が邪魔なのでタンクトップに。

ヨガはおへそを出していると体の中心点がわかるので、上手になるので。

 

「恥ずかしい」よりも、「効果を出したい」。というか、明らかに動きにくそうなウエアでチマチマやってるよりも、出すところ出してガツガツに動いていた方がかっこいい!そこに気づいたのでした。

 

というか、それ以前に…。

「私は足が太いから」「いろいろお見せできる状態じゃないから」「私はみっともない人間だから」

そんなネガティブな気持ちが無意識にあったのかな、と思います。

 

選ぶ色は、黒・白・グレー・ベージュ・紺。それ以外は「似合わない」。ずっと、勝手にそう思っていました。

でもスポーツウエアときたら、ただ「黒」を選ぶだけでも、どこかに必ずピンクやら青やらのラインが入ってるんです。

しかもジムときたら、四方八方全身鏡だらけなんです!がんばって「まっくろくろすけ」に慣れるウエアを探してきた自分の地味さといったら。

 

機能性、色合い、全身鏡。

この3コンボを叩き込まれ、私の美意識はものすごい勢いで変化していきました。

 

 

服だけじゃなくて、体も明らかに変化した

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角度が違ってあれなんですが…お分かりいただけるでしょうか。

 

上が昔、下が今の私の目元です。

上の写真は片方が二重まぶた、片方が一重まぶた。

ところが下の写真は両方クッキリとした二重まぶたになっているんです

 

おそらくジム通いをしてあちこち鍛えた結果、体の歪みが取れて、顔のむくみも取れ、両方二重になったんじゃないか…と思っています。

Twitterなんかを見る限り、同じ変化が起こった人は結構いるみたいで。不思議ですよね!

 

今でもちょっと気を抜くと歪みが出てしまって、重心がかかる左足に故障を起こしてしまうんですが…。年を取った後、体の歪みから腰や膝を痛めてしまう方が余程怖いので、回復力のあるいま痛みを前借りしておくつもりで直しています。

 

ジム通いをする人は年齢不詳の謎

あと私は「年齢不詳」とよく言われるんですが…。

ジムに通っている人の年齢不詳率の多いこと多いこと!

 

前回の記事で書いたイスラム教徒の彼なんですが…。

 

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40代前半〜中盤くらいかなー?と思っていたら、まさかの50歳だったんです…。道理でいくら歳聞いても答えないわけだよ!

外国人なのもあって、とんでもない年齢不詳。まさか私(31歳)の20コも上とは思いませんで。

 

でも彼に限らず、ジムの人はなぜか「みんな30代〜40代」に見えるんです。

20代はがっしりしっかりしてるから+10歳くらいに見えるし、50代60代はかなり若く見える。「え、おじさん還暦過ぎてるんですか?!」を何度言ったことか!

運動は最強のアンチエイジングです。間違いないです。

 

そんなこんなで、久しぶりに会った大学時代の友人からちょっとした噂にしてもらえるほど、私の美意識は変わりました。

「東京行って変わった」と友人には言われているんですが、「ジムに行って変わった」が本当のところだったりします。

 

見た目を変えると扱いも変わる

そこまであからさまではないんですが、やっぱり見た目が変わると扱いが変わるというのは本当みたいで。

デパートなんかをぶらついているとき、店員さんの様子が明らかに変わりました。

前は「ただ見てるだけ」の人の扱い。今は「買いに来ている人」の扱いをされます。年齢もあるんでしょうけどね。

 

腹筋と背筋を鍛えると、それだけで歩く姿勢が変わってきます。

人間って不思議なもので、姿勢で気持ちが結構左右されます。

 

それもあって、おそらくは運動を続けたことによるホルモンの変化もあって。

「バカにされる」「見下される」とき、はっきりと怒りを感じるようになりました。

それまでは「私がダメだから」「私には価値がないから」と多分無意識で思っていたんですが。

 

身なり変えて、姿勢を整えて。私の自分自身への扱い方が変わった。

だから人からの扱われ方に対する姿勢も変わった。

 

何するわけでもない、ただ「すみませんね」とニコリとするだけなんですが。

世の中には雑に扱ってくる人がいるということに気づいた。今までは自分が自分を雑に扱っていたから、それが世間からの自分に対する当たり前の反応だと思っていたんですが。

「自分が」「自分が」と自意識過剰になっていたことに気づきました。

そうじゃない。自分を変えて、大切にできるようになって、やっとそれに気づけるようになりました。

 

 

次回、また断捨離編に戻ります!

ジムは普通出会えない人と仲良くなれる場所〜私が惚れた外国人

今回はジムで出会った人たちの話をしたいと思います。

 

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 前回の記事はこちら。

 

ジムは普通会わないような人と仲良くなれる場所

前回記事から少し時はさかのぼって、ジム入会から半年後くらい。

スタジオに通うようになった私は、仲良くなった御歳70歳のおじいちゃんに連れられ、あっちこっちのプログラムに出るようになりました。

 

最初はヨガや太極拳を組み合わせたような、体のバランスを整えるプログラム。

それから「ビリーズブートキャンプ」のような激しいエアロビなんかにも通うようになりました。

すっかりジムにどハマりしていたので、「いつも走っている子」「おじいちゃんに連れ回されている子」とジム内でも常連さんに顔を覚えられていたようで。

いつしかポツポツと友人ができるようになりました。

 

顔は知っているけれど、名前は知らない。そんな友人知人がたくさんできまして。

ふと「遊びに行こう」と誘われたりLINEを交換したりして、やっと名前を知る…。そんな関係の人がたくさんできました。

 

でも、ふっと雑談してみたら。

同年代のOLさんに、40歳くらいのデザイナーのお姉さま。40代半ばの近所のクリニックの看護師さんに、50歳くらいのラーメン屋さんのおじちゃん。70歳のおじいちゃんはビルの清掃員でした。あとはカメラマンに鍼灸師、ハンドメイド作家、倉庫の作業機械運転手…。

それに、海外の方も多かった。中国人に韓国人、フィリピンとのハーフ。

 

とにかく今まで身近にいなかったような人ばかり。世界が広がりました。

 

私が惚れた外国人

そんな中で、私がジムで一番と言っていいレベルで仲良くしてくれていたのが、パキスタンとオーストラリアのハーフのマッチョメンでした。

身長は180cmをゆうに超え、体型はプロ野球の海外選手なみ。ごりっごりの大男、しかも朝黒い顔にインド系の濃ゆい顔立ち。でも日本在住10年で日本語ペラペラ、とってもジェントルです。

 

そんな彼と共通の友人と、あるとき映画を見に行ったんです。

映画が始まる前に食事をしようということになり、お店探しをしていたんですが…どのお店を提案しても、彼がなぜか嫌がるんです。メニュー表をちらりと見て、「ここはダメだ」と歩き出してしまう。

結局フードコートでうどんをすすることになりました。

あれだけこだわって、結局うどん? 友人と2人で思わず顔を見合わせました。

 

でもそんなことを繰り返すうち、気まずくなったのか彼がカミングアウトしたんです。

「僕、イスラム教徒なんだ」って。

 

その一言でやっと納得。彼は豚肉を使っているお店だと見るや、「ここはダメだ」と顔をしかめていたのでした。

しかもどうやら豚肉以外、牛肉や鶏肉もイスラム教徒のお祈りをして屠殺したものしか食べてないけないらしく、もっぱらシーフードか肉の入っていないもの、うどんなんかを選んで食べていたのでした。

 

「早く言ってよ!」と彼のマッチョな腕をぺしぺし叩きつつ…。

彼がいるときの食事はもっぱら、フードコートかお寿司を選ぶことになりました。

 

でも、そのときふと思ったんです。

この日本で、イスラム教徒でいるのは大変だろうなって。だから彼も何度か食事するまで隠していたんだろうし。イスラム教過激派がドタバタするごとに、肩身狭い思いをしてきたんだろうな。

それに、ただでさえ過酷な宗教であるイスラム教。年に一度の断食月になると、彼は自慢の筋肉が見る影もないほどに痩せ細ってしまいます。

 

なのに「自分はイスラム教徒だから」と筋を通す姿がかっこいいな、って。

なんだかそう思ったんです。

 

その後、私は彼にすっかり惚れてしまい、すったもんだあったんですが…。

結局私の恋は実らず、今はただの仲良しの友人として一緒にトレーニングをする仲です。…その話はまたどこかで機会があったら。

 

「変なやつ」でも大丈夫

ゴリゴリマッチョのイスラム教徒、豚肉は絶対ダメ、牛肉鶏肉もほとんどダメ。一緒に食事しようとしてると、私と別の友人が盛り上がってる横で、急に黙り込んでうつむいて、具合でも悪くなったのかと心配していたら、こっそりひっそりお祈りしてた。

はっきり言って「変な人」です。そんな人、彼以外に見たことない。

でも、そんな彼の姿勢に私はどうしようもなく惹かれてしまったんですよね。

 

どれだけ変でも、自分の生き方をキッパリ貫く人はかっこいい。

「マリってなんか毛色が違う感じがするよね」そうあちこちで言われ続け、「自分は変だ」と思い込んでいた私。彼の存在にすごく救われました。

 

ジムに通わなかったら絶対に出会っていなかったであろう彼の生き様に惚れて、力をもらい…「マリって変だよね」そう言われた時にニヤニヤ笑って、「でしょー?」と言えるようになりました。

 

そうしているうちに、「自分は変だから、周りと違う考え方をしているから…自分の考えていることは何もかも間違いだ」そう思う気持ちがどんどん薄れていきました。

自分の考え、思いをしっかり言葉にすることができるようになってきました。

 

 

次回も筋トレ編です。次はジム通いを始めて、私の美意識が大きく変わった話です。

私は「運動オンチ」じゃない?!〜適性のある場所でなら、輝けると知った時

今回からまた「筋トレ編」に戻ります。

 

おじいちゃんとスタジオへ

ジムに通うようになって数ヶ月。私は黙々とランニングマシンで走り、筋トレを続ける日々を送っていました。

そのうち「ガムシャラにがんばりすぎて足を壊した」記事で書いた通り、がんばりすぎて故障を連発…。でもガチムチスタッフ「海老蔵さん」をはじめ、いろんな方に助けていただいて乗り越えられました。

 

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その過程で私はひとりのおじいさんと仲良くなりました。

御歳70歳のおじいさん。なんでも若い頃は駅伝選手だったとかで。足を壊して苦しんでいる私をみかねて、ランニングマシンで走る私の横でウォーキングしながら走り方の基礎をたくさん教えてくれました。

 

このおじいさんに誘われ、私はそれまで興味なかったスタジオプログラムにも出るようになりました。

なんで興味なかったかって、スタジオでやってるのはエアロビです。エアロビやダンスといえば、「運動オンチ」にとって最悪の場所!はちゃめちゃになるのはわかりきってます。

 

でも誘ってくれたのが70歳のおじいちゃんだったこともあり、ヨガにちょっと興味があったこともあり…。参加してみることにしました。

 

出てみたら案外大丈夫だった

でも、出てみたら全然大丈夫でした。なんてったって、横には70歳の楽しそうなおじいちゃんがいるんです!

 

最初は当然動きが分からず、ミスしてばかり。2回目になっても3回目になっても覚えられない。4回目も5回目も…。仕事だったら呆れられて、二度とチャンスがもらえないレベル。

でもジムだったら、誰ひとり気に留めないんです。

 

運動オンチ?そんなの気にする人、誰もいません。

隣の70歳のおじいちゃん、腰気にしてるしプルプルしてるし、ちょっと危なっかしいけど楽しそうなおじいちゃんのことを、誰が「運動オンチ」なんて言いますか。そんな場所がジムなんです。

 

その環境が居心地良かったのと、味をしめて「ビリーズブートキャンプ」みたいな激しいエアロビにも参加するようになって気にする余裕が失せたのとで、私はバシバシ動くようになっていきました。

「腕を水平にピタリと上げる」「足を爪先まで伸ばす」なんかの精密動作が得意なのにも気づいたりして。

そのうち、古株顔してスタジオど真ん中の目立つ席に陣取り、キレッキレで動くようになっていました。

 

体力もつき、おじいちゃんに誘われて出場したマラソン大会では、そこそこの好成績。どの大会に出ても男性の平均くらい、女性としてはそこそこ速い記録を出せるようになりました。

 

私はなぜ「運動オンチ」と思いこんでいたんだろう?

今だからこそわかります。私は「運動オンチ」じゃない。走れば長距離ならそこそこ速いし、エアロビをやればキレッキレで踊れる。もはやジムで「私、運動オンチだからさ」なんて口にしようものなら、逆に皮肉ととらえられて相手を怒らせるレベルです。

 

ただ、いわゆる「学校でやるスポーツ」と相性が悪かった。

私はチームプレイや、臨機応変な対応を求められるような戦況がガンガン変わるスポーツに弱いんです。

ほぼ学校でしかスポーツをやる機会がなかったので、それが全てだと思い込み、「自分は運動オンチだ」と思い込んでいたんです。

黙々淡々とこなすマラソンには適性があったのに、決して運動オンチではないのに、アラサーになるまでまったく気づきませんでした。

 

そして、私が「マラソンやエアロビは得意で、向いている」と気づいた時。

おじいちゃんや海老蔵さん、ジムで仲良くなったたくさんの人と楽しい時間を過ごせていることに気づいた時。

年を経るごとに同期との差が開き、後輩にもどんどん抜かれて針のむしろになりつつあった職場と、楽しくてしょうがないジムとのギャップに、猛烈な違和感をおぼえました。

 

もしかして今の仕事で私が全然活躍できていなくて、嫌われ者になっているのって…?

 

いやいや、とその時は一度打ち消したんですが、気づいた時を境に違和感は膨れ上がっていきました。

私は学校で、チームスポーツが苦手で嫌われてしまった。でもマラソンやエアロビは得意で向いていて、ジムでは素敵な仲間に囲まれて楽しくやれている。

 

もしかすると、私にとっての「マラソン」にあたる仕事がどこかにあるんじゃないか…?

 

ジム主催のランニングサークルの仲間たちと夜の街を疾駆しながら、ぐっと拳を握ったのをよく覚えています。

 

 

筋トレ編、続きます。次はジムでたくさんの友人ができて、人生観が変わった話です。

炊飯器も、トースターも、私はいらない〜私が「捨て変態化」したきっかけ

服を捨てまくり、センスを磨くのと同時進行で、部屋のいろんなものを捨てました。

 

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 次はキッチン編です。

 

 

すごく変な形の水切りカゴ

断捨離を始める前までは、「スペースを上手に使わなきゃ」と思っていた私。

我が家のキッチンは狭小というほど狭くはないけれど、コンロは1口しかないタイプ。決して広くはなく、料理好きの私には「狭い」キッチンでした。

 

限られたスペースを有効活用すべく私がとった方法は、「デッドスペースを活用した水切りカゴ」を使うこと。シンクの水道の上に、キャットウォークのような形で設置するタイプの高足の水切りかごを設置していました。

大容量で、シンクの上に設置するから受け皿いらず!便利に使っていたんですが…。

 

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当時の写真、ありました!こんな感じでした。

 

 

まぁ、見た目がむさ苦しい。生活感のカタマリ。しかも不安定で使いにくい。

でも「狭い」「せっかく買ったのに捨てるのもったいない」ので、我慢して使っていました。

 

でも、断捨離を始めて気づいちゃったんです。

この変な水切りかご、私に必要なんだろうか?というか、ひとり暮らしでこんなに食器いる?ずーっと水切りかごに乗っかってるお皿、多くない??

 

気づいちゃった私は、水切りカゴを撤去。

しばらく水切りカゴなし、使ったお皿はふきんの上に置く生活にチェンジ。でもやっぱり「なし」はしんどかったので、自分の家に合う小さな水切りカゴを置くことにしました。

 

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今はこんな感じです。牛乳パックは三角コーナーのかわりで、中に生ゴミが入ってます。

 

そんな調子でいろいろ「気づいちゃった」

一度気づき始めると、もう止まらなくなりました。

 

「ひとり暮らしでこの量のお皿、必要?」

「お客さん用のお皿って何組必要?来るのせいぜい2〜3人じゃない?コップそんないらないし、たくさん来るなら紙コップでよくない?」

「この片手鍋と両手鍋、大きさも深さも用途も大体同じよね…」

「最後に型抜きクッキー作ったのいつだっけ。めったに作らないし、作っても型抜きじゃなくて切って整形するタイプのやつよね」

 

そんな調子でガンガン捨てまくり。

あげく、炊飯器の調子がおかしくなったのを機に変態の域に突入します。

 

「気づいちゃった…。炊飯器で炊くより、圧力鍋でご飯炊くほうが圧倒的に時短で美味しいわ…」

しかもすごい楽なんですよ。お米をといで、30分くらい水にひたしたら、圧力鍋に入れて加熱。ピンが上がったらそのまま弱火3分、最後に強火で30秒。ピンが下がるまで蒸らしたら、ホッカホカのご飯が完成。

普通の炊飯器では炊くのが難しい玄米も、一晩水にひたして30分加熱すれば、モッチモチで美味しく炊けちゃうんです。その気になればおこげも作れる。

外出時に自動で炊いたり保温したりはできませんが、ほんのちょっと火力調整するだけでいいんです。ドタバタの朝でも普通に炊ける。

 

これもしかして、とトーストをフライパンで焼いてみたら。

「嘘でしょ?!トーストもトースターよりフライパンで焼くほうが美味しいじゃん!」

しっかり加熱したフライパンにバターを溶かして、さっと両面焼くだけ。外はカリカリ、中はふんわり。しかも隣で目玉焼きまで作れちゃうというオマケつき。

 

炊飯器もトースターも掃除するの大変だし、6〜7年も使えば寿命が来ちゃいますが…。

鍋なら丸ごとシンクにつっこんでバシバシ洗えます。メンテナンスフリー。

 

気づいちゃった私は炊飯器とトースターをまとめて手放し、炊飯器やトースターを置いていた棚まで撤去。片付けレベルから変態レベルへ、堂々の一歩を踏み出しちゃいました。

 

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現在のキッチン。ビフォーの写真がないんですが、すっかり広くなりました。

 

うちのキッチンは「狭い」んじゃなかった

ミニマム生活が板についてきたある時、実家の大阪に帰省しました。

実家は私の家より圧倒的に広いです。しかも最近新築したばかり。

 

完成当初はスカスカだったキッチンは、ギッチリと物で埋まり。

母は我が家のキッチンの3倍はあろうかという大きなキッチンで、「狭い」「収納がない」を口癖にしていました。

 

その時、気づいたんです。我が家のキッチンは「狭い」んじゃなかった。「物の管理ができていなかった」んだと。

 

母に聞いたんです。「この引き出し、何が入ってる?」

母、一応は答えてくれるんですが、自信なさげにゴニョゴニョ言うんです。「使ってる?」とたたみかけると、「…」。

実家、「開かずの引き出し」だらけでした。そりゃ「狭い」よ。

 

やってることは「変態」ですが

炊飯器もトースターも置いてないミニマリスト、絵に描いたような「変態」。

その一歩を踏み出しちゃった私ですが、私からすると、ただいろいろ「気づいちゃった」だけなんです。

 

「お皿は最低限にして、水切りカゴを小さくした方がラク

「炊飯器より圧力鍋の方が便利で美味しい」

「炊飯器とトースターがなければ、食器棚いらないや」

 

母は「変態や」「アンタのキッチンは何もない。私にゃ使えん」と言っていましたが。

別に一緒に住んでいるわけでもなし、私が使いやすければ十分。

 

ミニマム化が進むにつれ、私は世間の「当たり前」より「自分の使いやすさ」に重きを置くようになってきました。いろいろ試して、自分基準で物を捨て、暮らしやすさに満足し…そしていつしか自分の選択に「自信」が持てるようになっていきました。

 

 

次回からまた筋トレ編に戻ります。次は私がジムでいろんな人に出会って、いろんなプログラムを体験し、「自分の武器」を知った話の予定です。