筋トレと断捨離を始めたら、仕事を辞める覚悟ができました

筋トレと断捨離を始めたら、会社を辞める決意ができた

仕事を辞めたアラサー女が、きっかけとなった筋トレと断捨離について熱く語るブログ

「好きな仕事」ではなく、「好きでいようとした仕事」だったと気づいた日

もろもろに背中を押され、とうとう仕事を辞める決意をした日のことを書きたいと思います。

 

あの日、心が完全に折れた 

windhorse.hatenablog.com

 

私の前職は動物園の飼育員。ポニー乗り場でお子さんたちに乗馬を体験してもらったり、小動物のふれあいコーナーでモルモットやウサギのふれあい体験をしてもらう仕事でした。

大学も畜産学部。馬と一生一緒に生きていくんだと決意していました。

 

ところが何をやってもとろい私は、すっかり職場の嫌われ者に。

必死に努力するも、滑稽なまでに空回り。

同期はどんどん出世し、後輩にもどんどん追い抜かれ…。

 

それでも、大好きな仕事でした

 

…そう、過去形になっていたのに、気づいちゃったんです。

 

断捨離を続けて、いろいろ気づけるようになった

断捨離をはじめて…。

  • ふとパジャマを捨てたあの時のように、「変わる瞬間」がくるのがわかるようになった。
  • ゴムが伸びきったジャージとか、捨てるべきものを捨てる習慣がついた。
  • 服の写真を撮るようにして、客観視ができるようになった。
  • 炊飯器やトースターもさくっと捨てられたように、「誰か」でなく「自分」を基準にして考えられるようになった。
  • 押入れをきちんと整理できたように、「見ないフリ」をやめて向き合うと使いやすく整頓できることを知った。

このブログでも「ふと気づいちゃったんです」という表現を多用してきましたが…。

気づいちゃったんです。私が「仕事が好きだから続けている」のではなく、「続けるために、必死で仕事を好きでいようとした」ことに。

 

思えばずっと前から、「好き」ではなく「好きでいようとしていた」

思えば、ただただ馬が好きで始めた仕事だったはずなのに…。

 

上司に「体力ないな」と嘲笑われて突然筋トレを始めたり、いつの間にか人の目ばかり気にしていました。

チーム仕事、接客業なので、上司や同僚、お客さんの顔色を気にするのは正しいんですが…。

私の場合かなり極端に気にしすぎたというか、空回りしすぎでした。当時からものすごいストレスや焦りを感じていたな、と正直なところ思うんです。

 

その頃から、仕事を辞めることになる3年前、筋トレと断捨離を始めた3年前あたりから…。

心の奥では「辞めたい」という気持ちがあったのかもしれないなぁ、と今になって思います。

 

でも。

こんなにダメな私を拾ってくれた前職。 

高い責任を求められているわけでもない。いわゆるブラック会社でもない。

安月給だけどやりがいのある、高校生の時からずっと憧れていた仕事。大学も動物関連のところを出た。

ここを離れたらもう、行き場がない。何も残らない…。

そんな不安と依存でがんじがらめになっていました。

 

でも。

気づいちゃったんです。

 

気づいちゃったとき…。

もう私は、耐えられない状態になっていました。

 

気づいた瞬間、「嫌」があふれた

 「仕事が好き」ではなく、「仕事を必死で好きでいようとした」ことに気づいた瞬間。

 

「私が不甲斐ないから」

「みんなは優しいけど、私がダメだから上手くいかない」

そう思っていたことが、全部「嫌」に変わって押し寄せてきました。

 

それまで「向いてない」と思ったことはたくさんあっても、「嫌」だとは一度も思わなかったのに。

全部蓋をしていた。見ないようにしていた。

気づいた瞬間、もう1分1秒たりとも職場にいたくない心境になりました。

 

できるだけひとりでできる仕事を回してもらい、バックヤードで黙々と作業。

職場で仕事終わりにダラダラしていた瞬間も、何もかも嫌になって。

周りに嫌な顔されようがなんだろうが、有給使いまくるようになりました。

 

日々の仕事は何も変わらない、周りの人の私の接し方も何も変わらないはずなのに。

ただ「気づいた」それだけで、私の行動はこれだけ変わってしまったんです。

「好きでいようとした努力」をやめたせいなのかもしれないですが…。

 

 

「気づく」力は、思った以上に大きい

思えばどれだけ頑張っても、どれだけ空回りして上手くいかなくても、改善しなくても…。「会社員なんだから苦労するのは当たり前」と思っている節がありました。

 

でも、違う。

断捨離は「気づく」こと、「自分基準で答えを出す」いい練習の場所なんです。

 

自分にとっていい状態なのか、悪い状態なのか。

適当に流されるままに決めるのではなく、ひとつひとつ立ち止まって考える癖を身に着ける。

「当たり前」「こんなもんでしょ」「みんなやってる」

そんなものは、断捨離を続けてミニマムな暮らしを実践し始めた人間にとっては、なんでもないことなんです。

 

苦労するのが当たり前?

…いや、苦労するのは当たり前かもしれないけど、その先に何があるの?

私が幸せでいられる未来、その先にありそう?

 

答えはとうに、断捨離を始める前から、実は出ていたんです。

 

 

 

あと2回で当ブログ、完結します!