「好きな仕事」ではなく、「好きでいようとした仕事」だったと気づいた日
もろもろに背中を押され、とうとう仕事を辞める決意をした日のことを書きたいと思います。
あの日、心が完全に折れた
私の前職は動物園の飼育員。ポニー乗り場でお子さんたちに乗馬を体験してもらったり、小動物のふれあいコーナーでモルモットやウサギのふれあい体験をしてもらう仕事でした。
大学も畜産学部。馬と一生一緒に生きていくんだと決意していました。
ところが何をやってもとろい私は、すっかり職場の嫌われ者に。
必死に努力するも、滑稽なまでに空回り。
同期はどんどん出世し、後輩にもどんどん追い抜かれ…。
それでも、大好きな仕事でした。
…そう、過去形になっていたのに、気づいちゃったんです。
断捨離を続けて、いろいろ気づけるようになった
断捨離をはじめて…。
- ふとパジャマを捨てたあの時のように、「変わる瞬間」がくるのがわかるようになった。
- ゴムが伸びきったジャージとか、捨てるべきものを捨てる習慣がついた。
- 服の写真を撮るようにして、客観視ができるようになった。
- 炊飯器やトースターもさくっと捨てられたように、「誰か」でなく「自分」を基準にして考えられるようになった。
- 押入れをきちんと整理できたように、「見ないフリ」をやめて向き合うと使いやすく整頓できることを知った。
このブログでも「ふと気づいちゃったんです」という表現を多用してきましたが…。
気づいちゃったんです。私が「仕事が好きだから続けている」のではなく、「続けるために、必死で仕事を好きでいようとした」ことに。
思えばずっと前から、「好き」ではなく「好きでいようとしていた」
思えば、ただただ馬が好きで始めた仕事だったはずなのに…。
上司に「体力ないな」と嘲笑われて突然筋トレを始めたり、いつの間にか人の目ばかり気にしていました。
チーム仕事、接客業なので、上司や同僚、お客さんの顔色を気にするのは正しいんですが…。
私の場合かなり極端に気にしすぎたというか、空回りしすぎでした。当時からものすごいストレスや焦りを感じていたな、と正直なところ思うんです。
その頃から、仕事を辞めることになる3年前、筋トレと断捨離を始めた3年前あたりから…。
心の奥では「辞めたい」という気持ちがあったのかもしれないなぁ、と今になって思います。
でも。
こんなにダメな私を拾ってくれた前職。
高い責任を求められているわけでもない。いわゆるブラック会社でもない。
安月給だけどやりがいのある、高校生の時からずっと憧れていた仕事。大学も動物関連のところを出た。
ここを離れたらもう、行き場がない。何も残らない…。
そんな不安と依存でがんじがらめになっていました。
でも。
気づいちゃったんです。
気づいちゃったとき…。
もう私は、耐えられない状態になっていました。
気づいた瞬間、「嫌」があふれた
「仕事が好き」ではなく、「仕事を必死で好きでいようとした」ことに気づいた瞬間。
「私が不甲斐ないから」
「みんなは優しいけど、私がダメだから上手くいかない」
そう思っていたことが、全部「嫌」に変わって押し寄せてきました。
それまで「向いてない」と思ったことはたくさんあっても、「嫌」だとは一度も思わなかったのに。
全部蓋をしていた。見ないようにしていた。
気づいた瞬間、もう1分1秒たりとも職場にいたくない心境になりました。
できるだけひとりでできる仕事を回してもらい、バックヤードで黙々と作業。
職場で仕事終わりにダラダラしていた瞬間も、何もかも嫌になって。
周りに嫌な顔されようがなんだろうが、有給使いまくるようになりました。
日々の仕事は何も変わらない、周りの人の私の接し方も何も変わらないはずなのに。
ただ「気づいた」それだけで、私の行動はこれだけ変わってしまったんです。
「好きでいようとした努力」をやめたせいなのかもしれないですが…。
「気づく」力は、思った以上に大きい
思えばどれだけ頑張っても、どれだけ空回りして上手くいかなくても、改善しなくても…。「会社員なんだから苦労するのは当たり前」と思っている節がありました。
でも、違う。
断捨離は「気づく」こと、「自分基準で答えを出す」いい練習の場所なんです。
自分にとっていい状態なのか、悪い状態なのか。
適当に流されるままに決めるのではなく、ひとつひとつ立ち止まって考える癖を身に着ける。
「当たり前」「こんなもんでしょ」「みんなやってる」
そんなものは、断捨離を続けてミニマムな暮らしを実践し始めた人間にとっては、なんでもないことなんです。
苦労するのが当たり前?
…いや、苦労するのは当たり前かもしれないけど、その先に何があるの?
私が幸せでいられる未来、その先にありそう?
答えはとうに、断捨離を始める前から、実は出ていたんです。
あと2回で当ブログ、完結します!